「貯金ゼロでもいい」と言ってくれた妻の一言
27歳のとき、私は「でき婚」でした。
突然妻から妊娠を告げられ、驚きというより「本当に自分が父親になれるのか」という不安が押し寄せてきたのを覚えています。
当時の私は、社会人3年目。
「3年間はとにかく遊び倒す」と決めていたため、貯金はまさかのゼロ。
遊ぶことに全力を注いでいたので、結婚や家庭という現実は、まるで別世界の話でした。
正直に「お金がない」と伝えたとき、妻は笑ってこう言いました。
「独身の男にお金は期待してないよ」。
あの一言で、肩の力が抜けた気がしました。
その瞬間、彼女の中には“母になる覚悟”がすでにあって、私はただその強さに救われました。
時は流れ、結婚に興味を持つようになった頃、その話を長女にしたところ、思いのほかショックを受けたようでした。
「えっ、私ってでき婚だったの?」と、少し怒ったような、悲しそうな表情をしていました。
私は笑いながら、「そうだよ。でも、○○ちゃんができたから“結婚した”というより、○○ちゃんがいたから“家族になれた”んだよ」と話しました。
けれど、彼女はまだ納得できていません。
思春期の今は、親の過去をどう受け止めたらいいのか分からない時期なのでしょう。
たぶん、「自分の存在が偶然みたいに扱われた気がした」のだと思います。
私はその複雑な気持ちを、責めるでも否定するでもなく、いつか自然に理解してくれたらいいと願っています。
それにしても、娘たちの反応はなかなか手厳しい。
「貯金ゼロの男と結婚したなんて、ママよくそんなの選んだね!」と、いまだに妻をからかうように言うのです。
妻は苦笑しながら、「あのときはね、、、なんでだろうね」と返します。
その会話を横で聞いていると、なんだか微笑ましくもあり、少し胸が痛くもあります。
結婚して半年後に長女が生まれ、その半年後には30人ほどの親族を招いて小さな結婚式を開きました。
当時はリーマンショックの最中で、派手な式はできなかったけれど、
両家が笑顔で博多の夜に繰り出していったあの光景が、今も心に残っています。
あの夜、「ちゃんと家族になれたんだ」と実感しました。
でき婚という言葉には、どこか後ろめたさのような響きがあります。
でも、私は思います。
家族の始まり方に正解はない。
計画通りにいかなくても、そこで生まれた“絆”が本物なら、それで十分なんです。
娘がいつか大人になり、恋をして結婚するとき、
この話をもう一度笑って聞ける日が来るといいなと思います。
「お父さん、あのとき何もなかったけど、お母さんはちゃんと幸せだったんだね」と、
少しでも感じてくれたら、それで十分です。
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