妻の背中に教わった、暮らしの“当たり前”を学び直す日々

家族の記録

家事を“知らなかった”父が、家族のために学び直していること

結婚して16年。
ようやく最近になって、「家事」というものがどれほど大変で、どれほど繊細な仕事なのかを理解し始めた気がします。

私の妻は看護師という職業柄、仕事でも家庭でも“頼られる存在”としていつも全力を尽くしてくれています。
ミスがなく、手際よく、誰よりも丁寧。職場では信頼され、家では家事のほとんどを担い、家族の生活を支えてきてくれました。

一方で私は――自分のことで精一杯で、長い間、家のことをほとんど手伝えていませんでした。
「気づいた人がやればいい」なんてよく聞く言葉がありますが、私はそもそも“気づく力”すら欠けていたのだと思います。

そんな私でも、ここ数年は少しずつ意識が変わってきました。
自分にできることを探し、できる範囲で動くようになったのです。

たとえば洗濯。
洗剤の量すら分からず敬遠していた私が、今では迷わずスタートボタンを押すようになりました。自動投入機能付きの洗濯機に替えたおかげでハードルが下がり、気軽に触れるようになったのです。

タオルを“きれいに干す理由”も、ずっと知りませんでした。
「どうせ乾くんだから適当でいい」と本気で思っていた私に、妻は淡々と教えてくれました。
――家族全員分を干すから、乾きやすく並べる必要があるんだよ。
そんな当たり前のことに、私はずっと気づけずにいたのです。

食器洗いも同じでした。
プラスチック製品は油が落ちにくくて二度洗いすること。
乾きやすさを考えて洗い物を並べること。
ひとり暮らししか知らなかった私には、どれも新しい「学び」でした。

掃除に関しては、妻のレベルには到底追いつけません。
仕事帰りにすぐ掃除を始めるほどのきれい好きな彼女に、私のやり方では追いつけるはずもありません。
せめて邪魔にならないよう、在宅の日は妻の掃除の時間にウォーキングへ出かけるようにしています。

こうして少しずつ家事を覚える中で、痛感したことがあります。
私は、妻に苦労ばかり押しつけて生きてきたのではないかということです。

妻は仕事でも家でも、ずっと“誰かのため”に走り続けています。
その負担を、私は深く理解できていなかった。
「ありがとう」も、「ごめん」も足りていなかった。

この歳になってようやく、その重さに気づけた気がします。

彼女の求める水準にはまだまだ届きません。
けれど、指導を受けながら少しずつできることが増えていくたびに、
「家族の暮らしを、ほんの少しでも軽くしたい」
そんな思いが強くなりました。

最低の夫だった、と過去の自分を責めることもあります。
それでも、これからは違う姿を見せていきたい。

妻が安心して笑える毎日のために。
娘たちに、夫婦が支え合う姿を残すために。

今日も、小さな家事を一つ、手に取ってみようと思います。

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